【Magic】邂逅【昔話】
2011年8月12日 昔話 コメント (2)1996年
初めてMagic the Gatheringと出会った年。
知り合いがやっているのをたまたま見てしまった感じ。
当時はバリバリの体育会系でフェンシング部で日々死にそうになりながら自衛隊の10倍はキツイ訓練を課せられていたw
そんなオレのマジックへの第一印象…
「何このオタクゲームwww」
最初は見向きもしなかった。
それからしばらくして、偶然にも友人数人がカードを買いに行くのに同行。
そこでブースターを購入している友人たちにこんな質問をしてみた。
「そのカードって、1枚いくらするの?」
それに対しての返答は様々な意見があったが、総じて結構な価値の物もある的なものだった。
その話を聞いてすぐに店でブースターを購入しているオレがいたw
そう…金儲けの匂いがしたから購入したのである。
そこからは雪崩式。
毎日のようにアイスエイジやホームランド、またはフォールンエンパイアやクロニクルや4thのスターター及びブースターを購入する高校生がww
カードは全て英語だったし、勿論ルール説明書も英語。
しかし、ハマり出したら止まらないオレはそんなのモノともせずにルールを覚え、デッキ構築とデュエルに没頭した。
と言っても、メインは馴れ合いの多人数戦だったワケだがw
1997年
友人連中はすでに1人1色に絞って構築していた為、トレードでオレの入り込む余地はほぼ皆無。
仕方ないのでマネーパワーを利用して、5色デッキを組むことにした。
当時高校生だったワケだけど、幸いにも月に数万円を自由に使えたので欲しいカードはどんどん揃っていった。
最初に組んだデッキは100枚の紙束だったが、徐々に枚数が少なくなり70枚くらいまではシェイプアップ出来た。
でも、24体のドラゴンを有する5色ドラゴンデッキ…。
そんな時分、日本選手権予選というモノがあるらしいことをRPGマガジンを通じて知る。
しかし、所詮は高校生…100km以上離れた会場までの足がなかった。
行くのは可能だったが、帰りは遅くなる為に帰宅不能という状況。
そこでオレは苦肉の策に出る。
偶然にも1週間前に1度だけ社会人のMagicプレイヤーたちとの邂逅があったので、前々日にチャリ10km以上を駆け抜け、直接家を訪ねて便乗を嘆願!
前日の土曜日から一緒に調整して貰い、当時なかなかに入手困難だったアライアンスのカードをトレードして貰ったりしてデッキをチューン。
そんなこんなで大会当日。
参加者は150人以上でスイスドロー8回戦の4人抜け。
フォーマットはスタンダード。(アイスエイジブロック~ミラージュブロック&5thだった気がする)
当時のオレはスイスドローの意味さえわかっていなかった。
デッキは勿論オリジナルの5色で66枚のイカれたヤツw
当時のメタは各色の単色とカウンターポストが全盛の時代だったというのに…。
そして1対1のMagicを始めて間もないオレは「マナを出してからアタックしてマナバーン」や「喜び勇んで意味もなくネビニラルの円盤を魔術師の女王1体に対して起動」など、今考えるとあり得ないようなプレイングをしつつも5勝3敗という結果で8回戦を乗り切った。
正直、出来すぎである。
ちなみに同行させて貰った人たちのウチの1人が青単で優勝し、権利獲得。
他の人たちもそれなりの結果を残していた気がする。
良くも悪くもこれが初めての公式戦。
この大会以後、急速に公式大会志向になって行く高校生がそこにいた…。
初めてMagic the Gatheringと出会った年。
知り合いがやっているのをたまたま見てしまった感じ。
当時はバリバリの体育会系でフェンシング部で日々死にそうになりながら自衛隊の10倍はキツイ訓練を課せられていたw
そんなオレのマジックへの第一印象…
「何このオタクゲームwww」
最初は見向きもしなかった。
それからしばらくして、偶然にも友人数人がカードを買いに行くのに同行。
そこでブースターを購入している友人たちにこんな質問をしてみた。
「そのカードって、1枚いくらするの?」
それに対しての返答は様々な意見があったが、総じて結構な価値の物もある的なものだった。
その話を聞いてすぐに店でブースターを購入しているオレがいたw
そう…金儲けの匂いがしたから購入したのである。
そこからは雪崩式。
毎日のようにアイスエイジやホームランド、またはフォールンエンパイアやクロニクルや4thのスターター及びブースターを購入する高校生がww
カードは全て英語だったし、勿論ルール説明書も英語。
しかし、ハマり出したら止まらないオレはそんなのモノともせずにルールを覚え、デッキ構築とデュエルに没頭した。
と言っても、メインは馴れ合いの多人数戦だったワケだがw
1997年
友人連中はすでに1人1色に絞って構築していた為、トレードでオレの入り込む余地はほぼ皆無。
仕方ないのでマネーパワーを利用して、5色デッキを組むことにした。
当時高校生だったワケだけど、幸いにも月に数万円を自由に使えたので欲しいカードはどんどん揃っていった。
最初に組んだデッキは100枚の紙束だったが、徐々に枚数が少なくなり70枚くらいまではシェイプアップ出来た。
でも、24体のドラゴンを有する5色ドラゴンデッキ…。
そんな時分、日本選手権予選というモノがあるらしいことをRPGマガジンを通じて知る。
しかし、所詮は高校生…100km以上離れた会場までの足がなかった。
行くのは可能だったが、帰りは遅くなる為に帰宅不能という状況。
そこでオレは苦肉の策に出る。
偶然にも1週間前に1度だけ社会人のMagicプレイヤーたちとの邂逅があったので、前々日にチャリ10km以上を駆け抜け、直接家を訪ねて便乗を嘆願!
前日の土曜日から一緒に調整して貰い、当時なかなかに入手困難だったアライアンスのカードをトレードして貰ったりしてデッキをチューン。
そんなこんなで大会当日。
参加者は150人以上でスイスドロー8回戦の4人抜け。
フォーマットはスタンダード。(アイスエイジブロック~ミラージュブロック&5thだった気がする)
当時のオレはスイスドローの意味さえわかっていなかった。
デッキは勿論オリジナルの5色で66枚のイカれたヤツw
当時のメタは各色の単色とカウンターポストが全盛の時代だったというのに…。
そして1対1のMagicを始めて間もないオレは「マナを出してからアタックしてマナバーン」や「喜び勇んで意味もなくネビニラルの円盤を魔術師の女王1体に対して起動」など、今考えるとあり得ないようなプレイングをしつつも5勝3敗という結果で8回戦を乗り切った。
正直、出来すぎである。
ちなみに同行させて貰った人たちのウチの1人が青単で優勝し、権利獲得。
他の人たちもそれなりの結果を残していた気がする。
良くも悪くもこれが初めての公式戦。
この大会以後、急速に公式大会志向になって行く高校生がそこにいた…。
コメント
続きはWEBで!
まぁ暇が出来たら書くかもねw